円通寺訪問-2
2013年 08月 12日
前回の続きです。
庭の手入れが半ば趣味化している兄が、不躾にも円通寺の和尚さんに色々聞きました。
「園路の砂利のところは草が生えないんですか?」
「葉っぱが随分小さいんですけど、あのモミジはなんていう種類なんですか?」
写真の赤土になっているように見えるのは、苔が枯れているのではなく、水分が逃げないように苔が丸まっているから裏側が見えているのだそうです。
マンション暮らしの私的には新しい知識で嬉しかったのですが、日頃、苔に触れ合っている兄にとっては、当たり前の知識のよう。
マンション暮らしの私的には新しい知識で嬉しかったのですが、日頃、苔に触れ合っている兄にとっては、当たり前の知識のよう。
兄弟でありながら、いつも自然と向き合っている兄と、東京で少ない自然を有り難がっている私の差です。
「今年は雨が少ないからねぇ、やっぱり雨上がりがいいよ」が和尚さんの言葉でした。
(これは京都観光のヒントになりますね。)
それから、この完璧な庭は、和尚さんと雲水さんの3名だけで手入れしているとのこと。庭師にやらせてはダメなんだそうです。高枝を払うところだけやってもらうそうです。
庭というのは、生き物ですから常に変わろうとします。つくられた庭が当時のままの良さを保つためには、つくったときに明快なコンセプトがあって、それを代々引き継がなければ保存できないはず。確かに、外部の人に頼むより自分たちでコンセプトを守った方がいいのだと思いました。
さらに、感嘆したのは、あの修学院離宮の庭の手入れをしている方々は、ここ円通寺で雲水として修業されてきた人たちなのでそうです。
そういえば、お寺と修学院をつくったのは、どちらも後水尾上皇。そして比叡山を借景にしているのも同じ。
コンセプトが判っているものだけが庭の手入れを許される、ということなんですね。
庭を守り続けるのは、建築の保存よりはるかに難しい。そう思ったら、久しぶりに修学院離宮に行きたくなりました。
(白崎泰弘)
by seeds-archi
| 2013-08-12 21:26
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